はぐれ日記 印象派

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【雑記】ジャコメッティの眼の中

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 国立新美術館ジャコメッティ展を見に行ってしばらく経つが、どうにも気になって腑に落ちない。

ジャコメッティと言えば、手足のついたマッチのような細長く、細かく歪んだ金属の彫刻のイメージがあり、今回の美術展のポスターでももちろん見たし、たぶん小学校のときの教科書に載っているレベルの超有名アーティストなわけなので、知っているつもりになっている。

ところが、実際の作品と解説文を見ると、どうにも奇妙だ。彼は「自分の見たものをそのまま、彫刻で再現しようとした」というのだ。彼の見たもの、そのものとは何か。「印象」であれば話は早い。人の儚さ、弱さ、社会の中で孤立する姿、存在の不確かさ。そういうものを表現したというなら、理解がしやすい。ただ、どうやら違うらしい。

見たものをそのままの姿で現そうとした結果、作れなかったり、彫刻が小さくなり過ぎたり、胴体が棒人間のような猫の像を作ったりしたという。不思議だ。彼が固執した見たまま、というのは一般的なリアリティとか、写実性とはまったく違っているし、「印象」とも重なり切らないように思える。印象だけを定着させるのであれば、モデルを何ヶ月も拘束して、同じポーズを要求したりしないはずだ。1日じっくり観察し、スケッチを描き、頭の中に閉じ込めたイメージを元に制作することで十分なのではないか。

でも彼はそれで満足しなかったらしい。印象ではない何か、「ヴィジョン」「人間の本質」の定着を追い求めたためだろうか。

 

展示の最後の方では、晩年に取り組んだパリの街角のリトグラフを多く見ることができる。彼は「知っているはずのパリの町も、眺めれば眺めるほど見知らぬものに見え、発見がある」というようなことを言ったらしい。この感覚は少し分かる。違う天気、違う光の中、違う気分、違う体調の中で、または、知っている道から一本奥に入り込み、知らない道を歩くとき、知っているはずの景色はまったく異なるものに見える。

それを、人間に対しても感じ、その異なる瞬間を、時間の積み重ねを、金属の像に定着させようとしたなら。そんな、気がおかしくなりそうな仮定をすることで、ほんの少し彼の作品の歪みや弛み、震える表面の意味がわかるような気もする。

でもやっぱりよく分からない。本当のところはよく分からないから、本人に聞いてみたい。あなたに世界はどう見えているのか。目の前の人はどう見えているのか、と。